雨の日のこと(小説)
空はあいにくの曇り空で、そのうち雨が降ってきそうだった。雨のにおいが漂う。今日の天気予報は雨だったっけか。…どちらにせよ外に出てしまったのだからもう少しこの空間に浸っていよう。
「みんななんだかんだ言って普通だよね」
「そうだねぇ」
マンションの屋上階。煙草をふかして景色を眺めているオレに、背後から高松幸助が言葉を投げかけ、オレも彼のいうことに答え、振り向いた。2ヶ月ぶりくらいに目にした背丈が175センチくらいの黒髪の同級生。若干垂れ目で、左目尻にはほくろがある。これは10数年たっても変わらないのだ。
「ワタシたちも普通になっちゃってさ。割と生きていけるようになっちゃったね」
首をかしげながら、幸助ははにかんだ。オレも幸助につられ、口元がゆがむ。
「それな。もう過去の凝り固まった自分を誇示しなくても生きていけるし。適応力が高いと言えばそれまでなんだろうけど、あのときと比べるとなんてことなかったな」
「ね、割とワタシは高松幸助を演じられるし、そっちは花宮いつきで過ごせてるみたいだし」
「いや、演じてるよりかはもうオレは花宮いつきなんじゃないかなって思うわ」
5メートルの距離がお互いの「持てるはずだった」声を反響させる。笑顔がきれいな幸助はオレの言葉を聞いてよかったとまた笑った。
オレは半袖のYシャツを着ていたが、幸助は長袖のYシャツを着ていた。そのかわいそうな部分もひっくるめて、現在の「高松幸助」なのだ。煙草を地面に落とし、靴で踏みつけ、
「あんまり自分傷つけんなよ。」
「いつきこそ。」
「別にオレとはその体はもう何ら関係ないけどさ」
一瞬だけ幸助は目を見開くがまたはにかんだ。
「ワタシもそうだけど、単純に心配なんだよ」
「ありがたし」
胸から何か出てきそうだ。下唇をかみつつ、話題を変えた。
「性同一性障害みたいな状態かもしれないんだけどさ。」
「言われればそうだよね。」
「でも、オレたちはそこそこ適応できてるし。そんなに特別な存在ではないんだろうなあ」
「もともと異性になる素質あったのかもね」
あははと笑い合うがすぐに沈黙が生まれてしまう。
「ねえ、いつき」
幸助が口を切る。
「何」
「俺、いつきのこと好きだよ。」
男子らしい、先ほどより若干低めの声で、つぶやいた。
「ん、私も幸助のこと好きだ」
じんわりとこみ上げてくるものがある。歯をかみしめ笑顔を作った。だんだんと雲行きが怪しくなり、ぽつりぽつりと雨が降り始める。気づかないのか否か、幸助はそのままオレのもとへ歩み寄った。
「ずっと一緒にいなきゃ、自分の姿を見られないから、自分の行く末が見られないからって、高校まで同じにしたよね」
「生理や精通の気持ちもわからないままだったから本当の男や女になってく”幸助”や”いつき”が憎たらしかった」
「ね。でも、いい機会だったかもしれないなぁ。」
ぽつり、ぽつり。雨のつんとしたにおいの濃度が増す。幸助の目はいつにもまして感情をはらんでいて、オレまで泣きそうになってくる。そっと幸助の制服の裾を引っ張り、大きな体に頭を預けた。
「…オレ、がんばるわ。ずっとバイトしてたからそこでがんばろうと思うし。将来は不安しかねえけどさ」
案の定、涙が混じる。
「いいよ、ワタシもがんばるし。また、遊びに行くね。」
「ありがとう」
「こちらこそ」
身長157センチの花宮いつきの体では、大きな高松幸助の体に収まるには容易だった。雨が段々と降ってきて、しとしととYシャツがぬれる。
性的な違和感もなれ、時間がその他の違和感も飲み込んでしまった。
なんの奇跡も物語も始まらぬまま、オレたちは気持ちまで惹かれ合っていたのだ。